Exhibition "On Happiness" 2003
Tokyo Metropolitan Museum of Photography.
Traveling solo exhibition in Finland 2005
Photographic Gallery Hippolyte/ Helsinki
Finnish Northern Photographic Center / Oulu
Photographic Center Peri / Turku
Solo Exhibition 2006
Secession , Vienna, Austria 2006
Solo Exhibition 2012
Project Space Uqbar / Berlin
Exhibition "Noise of Silence" 2019
Golden Thread Gallery, Belfast, Northern Ireland, UK
ふとしたことから私の手もとに流れ着いた、ヨーロッパの古いネガフィルム。おそらく70年以上昔のものであろうか。ベルギーあたりかと思わしきそこには、今や生きているかどうかさえ知る手がかりも無い、普通の人たちの日常の残像があった。アルプスであろう山肌を背景に、草原で寝そべり戯れる家族らしき一団の姿。それはあくまで幸せな一家族の観光写真として目に映る。そう、まさにそう見えるだけなのかもしれない。いや、おそらくは幸せに違いないはずなのだ。しかし、本当に幸せな家族像なのかどうかなど、無論私には分かるはずも無い。そこに映り込んでいる記録は私のものではなく、見知らぬ家族の、今や消え去ったいにしえの記憶なのだから。
その家族の間には、表には出さないそれぞれの秘密があったかもしれないし、もしかしたら切ない気持ちや空しい気持ちを胸の奥に隠したままの者もいたかもしれない。実際のところ、人が幸せかどうかなど隣に居たって分かりっこないのだ。しかし、そこに確実に存在していたものがあるとしたら、モノクロのプリントの上では視覚できないけれども、写真に残された彼等のその一瞬が、疑いも無く眩しい緑と青い空に彩られていることだ。
人生の中で幸せだと思える時間が、どんなに短くても、どんなに長くても、大きな時間の流れの中では、やはり一瞬の輝きに過ぎない。また、日々起こる出来事とともに生まれるその時々の感情は、およそ記録されることは不可能で、私たち自身の記憶の中でだけ生きているのであろう。しかしたとえ一瞬の幸せでも、それが強い光として記憶の中で輝いていれば、幸せな人生だったと最期に感じられるのではないだろうか。
そして肉体を失うと同時に時空を失ったその一瞬の記憶は、別の次元でなお、永遠の記憶として輝き続けているのかもしれない。写真の人々が、これらのプリントを目にしたかどうかすら知る術も無いけれど、色を失ったその残像たちを、ほんの少しだけ私の手で彩ろうと思う。今、この一瞬にも別の次元で存在し続けているのかもしれない、記憶の時間軸を旅して。