Midori Mitamura

三田村光土里

Till We Meet Again

Feb 24.2019

今日は知人の四十九日の法要に参列した。

彼女は、6年前、私の"Till We Meet Again" という映像インスタレーション作品のためにオリジナルのアロマをプロデュースしてくれたアロマセラピストであり、その前には作品を買ってくれたコレクターでもあった。
それほど親しく頻繁に会う間柄ではなかったが、彼女にブレンドしてもらったTill We Meet Againの香りは、レシピを教わって、今も私自身の香りとして、日々身につけている。

以前、とても親身になってくださったのにその意向に素直に応じられなかった時期があり、がっかりさせてしまったかもしれないと長い間気がかりなままでいた。

亡くなる2ヶ月ほど前に、Facebookで「いいね」を押されたことで、ふと思い立ってメールで挨拶程度のやり取りをしていた。しかし、余命を宣告されるほどのご病気だとは知らずにいた。周囲にも明かしていなかったとのことだった。

 急逝したと一報を受けたとき、私はインフルエンザの高熱で実家の床に臥していたが、気持ちを落ち着けるためにTill We Meet Againのアロマの小瓶を取り出し、枕元で嗅いだ。
この香りは、いつもパースに入れて持ち歩いている私のお守りなのだ。
今日の法要にも、もちろんこのTill We Meet Againを身につけて参列した。


 歳を重ねることで、離れて暮らす家族や友人とも、あと人生のうち何度会えるのだろうかと考えるようになって制作したこの映像作品では、彼女にブレンドしてもらったアロマオイルの香りで空間を満たして、記憶に寄り添う香りという存在の親密さを、友人との再会の場面の会話の連続に重ね合わせた。

おそらくこの先、健康で生きられていたとしても、歳とともに、できないこと、訪れられない場所が徐々に増えていくのだろう。

環境も変わるだろうし、自分がどこで何をするのかも、終の棲家がどこかもまだわからないけれど、この香りはきっと生涯私のそばにいる。

先に旅立っていった彼女との関係は、私の一番近くで不思議と長く続くのでしょう。また会う日まで。

 


 

 

  Free As a Bird

Sep 23.2018

グランカナリアでの最後の日曜日。

一人ギャラリー空間で過ごした後、部屋でのんびりすることにした。

作品が出来上がると、作品とスペースと人とのお別れだけが待っている。

また次の場所に旅立たなくてはならなくて寂しくなる。

マニュエルにそれを言うと、残される側の気持ちを想像するかい?と聞かれた。

確かに、私はいつも去ってばかりいる。

同じ場所に根を張って、何かを受け入れて、それが切り取られて離れていく気持ちを、私はわかっていない。

自分ばかりがセンチになってはいられない。



日本にいると、最近は誰かにとっての「先生」と呼ばれるようになって、本来の自分から一番遠い呼ばれ方に不自然な居心地でいる。

学生には、教えることはしない、手伝うだけ、といつも最初に言っているけど、人から管理されるのが嫌いなのに、授業をするとなると、変な責任感が働き始めて人を管理しようとしているかもしれない。

本来の自分からどんどん遠ざかってしまうみたい。悪いことに、それが作品の発想にも影響してしまいそう。

 

 

なので、日本に帰ったら、試しに人や場を管理しようとするのを一切やめてみようと思う。

 

 

 Sep 7. 2018


ギャラリーのオーナーのマニュエルが、今回のわたしの作品展
”If not here, then I’m somehwere else"に寄せて、ビートルズの
”Free As a Bird”という歌を引用してくれた。

ビートルズが1970年に解散後、ジョン・レノンが1980年に亡くなり、その後発見されたジョンの録音テープを元に他の3人のメンバーが完成させて1995年に発表した、言わばビートルズ最後の曲。

もともと録音が悪い上に、抽象的な歌詞にポールが解釈を加え、和訳の意訳もかなり様々で、ジョンの真意は聴くものそれぞれに委ねられる。

わたしの解釈は、
(ヨーコとの)甘い生活はいつの間にか、なりをひそめ、鳥のように自由になりたい。自由だった時期もあったのにね。けど、やっぱり家(ヨーコ)が自分の帰る場所、鳥のように自由になるなんて二の次さ。


という、倦怠期の自虐的な葛藤を描いた一曲。もちろん、ヨーコでなく、ビートルズのメンバーだと解釈するとまた違った趣がある。

 

でも、こういうジョンの現実的な私生活について憶測しないで、純粋に自分の身に当てはめると、せつなくなって涙がほろり。
わたしの自由は頼りなくて、甘美なようでさびしくて、ふわふわ漂っている。
どこかに帰りたくて、必死で飛んでいるけど、どこに帰ればいいのかもわかってない。きっと帰りたい場所もないのでしょう。

 

きっと自由な鳥などいない。  

人は自由を求めて、自由を恐れるのでしょう。

 

Manuel Ojeda quoted a song of the Beatles  ”Free As a Bird” for my exhibition at his gallery ”If not here, then I’m somewhere else".

The Beatles broke up in 1970, John Lennon died in 1980, and then they found this song in the tape he left. Three other members completed this song and was released in 1995. This means the song was the last song the Beatles produced all together.

Although the tape was poor quality, Paul added his interpretation into abstract lyrics. What is more, Japanese translations are also interpreted into various expressions. The true meanings of what John wanted to say was up to each listener.

My interpretation is,

Even though the sweet life (with Yoko) had gone and he wants to be free as a bird, his home (Yoko) is the place to go back to. To be free as a bird is of secondary importance.

It sounds like relating to self‐ridicule about going through a rough patch. However, if it was relating to the Beatles, we would enjoy other interpretations.

On the other hand, listening to this music without concerning John's private, when it came to my own life it moved me to tears sentimentally. My freedom is floating unstably. It seems sweet but lonesome.

I'm flying back to somewhere  as desiring going home. But  I don't know where it is.

I'm flying back to somewhere as desiring going home. But I don't know where it is. I may not know where I want to go back to. 

I'm flying back to somewhere  as desiring going home. But  I don't know where it is.
I may not know where I want to go back to.
I may not know where is the place I want to go back to.

No birds were free.
We are afraid of being free while looking for freedom.

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